東京地方裁判所 昭和40年(ヨ)2193号 判決 1969年6月28日
申請人 高山堯 外三名
被申請人 東亜石油株式会社
主文
1 申請人らが被申請人に対し、いずれも労働契約上の権利を有することを仮りに定める。
2 被申請人は、昭和四〇年六月以降本案判決確定に至るまで、毎月二〇日限り、申請人高山に対し一ケ月金三四、一〇〇円、同五十嵐に対し一ケ月金三八、七〇〇円、同川崎に対し一ケ月金三三、一〇〇円、同昼間に対し一ケ月金二八、三〇〇円の各割合による金員を仮りに支払え。
3 訴訟費用は被申請人の負担とする。
事実
第一、当事者の求める裁判
一、申請人らの求める裁判
主文と同旨の裁判。
二、被申請人の求める裁判
1 申請人らの申請をいずれも却下する。
2 訴訟費用は申請人らの負担とする。
との裁判。
第二、当事者の主張
一、申請の理由
1 当事者
被申請人(以下単に「会社」ともいう。)は、肩書地に本社を、神奈川県川崎市水江町に製油所(以下「川崎製油所」という。)を、その他の全国各地に営業所を有し、石油の精製と販売を業とする株式会社である。
申請人らは、いずれも会社に雇用され、川崎製油所に勤務していたものである。
2 懲戒解雇
会社は、昭和四〇年五月一二日申請人高山を、同年六月一日申請人五十嵐、同川崎および同昼間をそれぞれ懲戒解雇した。
3 解雇無効
右各解雇は、次の理由によりいずれも無効である。
(一) 申請人高山関係
(イ) 不当労働行為
申請人高山は、昭和三七年二月二日から同三八年一月三日までの間、川崎製油所の従業員で組織している東亜石油川崎製油所労働組合(以下単に「組合」、「旧組合」又は「製油所労組」という。)の執行委員長として活発な組合活動をなし、執行委員長を辞めた後も、次のような活発な組合活動をしていた。すなわち、会社には、本社および全国の営業所に勤務している従業員で組織されている東亜石油労働組合(以下単に「本社組合」という。)と前記製油所労組の二つの労働組合があり、かねてよりその統一が叫ばれていたが、昭和三九年九月一一日ごろ本社組合から製油所労組に対し統一の申入れがあり、これを契機に両組合の間で具体的な統一のための作業が開始され、同年一〇月一日に規約起草委員会が、同月三日に統一準備委員会がそれぞれもたれる等、着々と統一への準備が続けられていた。申請人高山は右統一問題を活発に推進していたが、このような両組合の統一と申請人高山の活発な組合活動を嫌悪した会社は、同月一日付で本社への配転命令を出し、それに従わない申請人高山を懲戒解雇したものであるから、右解雇は不当労働行為として無効である。
(ロ) 解雇権濫用
申請人高山は、昭和三〇年三月東京理科大学化学科を卒業し、昭和三一年一月早稲田大学理工学部応用化学科燃料化学研究室山本・森田研究室研究助手に採用され、三年七ケ月間在籍して、昭和三五年八月一日会社に入社し、川崎製油所製造部試験室の係員として勤務し、入社直後のごく短期間を除いては、ガスクロマトグラフ(以下単に「ガスクロ」という。)による組成分析に従事し、解雇時にはその他の研究にも従事していた。申請人高山の右業務は入社の際の、技術者として採用する旨の雇傭条件に基くものであり、申請人高山には、雇傭契約上右の専門技術以外の労務の提供をなすべき義務はないというべきである。しかるに申請人高山が前記配転によつて命ぜられた業務は、本社潤滑油部陸上課のプロパンガス(いわゆるLPGと呼ばれるものである。)のセールスエンジニアであつて、右の専門技術を要するものではない。従つて申請人高山には右配転命令に従うべき義務はないから、配転拒否を理由とする解雇の意思表示は権利の濫用であつて無効である。
仮りにそうでないとしても、右配転拒否は懲戒解雇に値するほど重大なものではないから、これを理由とする解雇は権利の濫用であつて無効である。
(二) 申請人五十嵐ら三名関係
(イ) 不当労働行為
本件解雇当時申請人五十嵐は組合の執行委員長を、同川崎は副執行委員長を、同昼間は書記長をしていたものであるところ、組合は昭和四〇年三月九日賃上げ等の経済的要求と併わせて、懸案の高山配転問題、事前協議制確立の問題についての団交を求めて争議に突入し、一〇数波に及ぶストライキをした。これに対し会社はその報復として、争議中の組合の切崩し、第二組合の育成をはかるかたわら、申請人五十嵐ら三名を懲戒解雇したものであるから、右解雇は不当労働行為として無効である。
(ロ) 労働協約違反
会社と組合とは、昭和三九年五月三〇日組合執行委員を異動する場合には事前に組合と協議する旨の協約を締結したが、申請人五十嵐らの解雇に際しては、組合との間には事前の協議がなされていない。右「異動」には解雇を含むことは明らかであるから、右解雇は労働協約に違反して無効である。
(ハ) 解雇権濫用
申請人五十嵐ら三名に対する解雇は何ら正当な事由なくなされたものであつて、権利の濫用として無効である。
4 賃金
本件各解雇当時、賃金として毎月二〇日限り、申請人高山は一ケ月金三四、一〇〇円、同五十嵐は一ケ月金三八、七〇〇円、同川崎は一ケ月金三三、一〇〇円、同昼間は一ケ月金二八、三〇〇円の支給を受けていた。しかるに会社は右各解雇を理由に、昭和四〇年六月以降の賃金を支払わない。
5 保全の必要性
申請人らは、いずれも賃金を唯一の生活の手段とする労働者であるにも拘らず、前記解雇によつてその収入の途を奪われたのであつて、本案判決の確定をまつていては、回復できない損害を受けることは明らかであるので、とりあえず本申請に及んだ。
二、申請の理由に対する被申請人の答弁
1 認否
申請の理由1および2の事実を認める。
同3のうち、
(一)、(イ)の事実中、申請人高山の組合における役職、会社には申請人ら主張のような二つの労働組合があり、その統一が論議されていたこと、および昭和三九年一〇月一日付で本社への配転命令を出したことを認め、会社が両組合の統一と申請人高山の活動を嫌悪したことを否認し、その余の事実は知らない。
(一)、(ロ)の事実中、申請人高山の経歴、川崎製油所における仕事の内容、配転によつて命ぜられた業務を認め、入社の際技術者として採用する旨の雇傭条件が存在したことを否認し、その余の申請人らの主張を争う。
(二)、(イ)の事実中、申請人らの組合における役職および昭和四〇年三月九日組合が賃上げ等の経済的要求と併わせて高山配転問題、事前協議制確立の問題についての団交を求めて争議に突入し、以後一〇数波に及ぶストライキを行つたことを認め、その余の事実を否認する。
(二)、(ロ)の事実中、申請人ら主張のような協約を締結したことを認め、その余の事実を否認し、右協約の解釈を争う。
(二)、(ハ)の主張を争う。
同4の事実を認める。
同5の事実を否認する。
2 解雇理由
(一) 申請人高山関係
昭和三八年ごろからLPGの需要が急速に増大したが、爆発事故その他のLPGの欠陥が喧伝されたため、会社においてもその販売にあたり専門技術的な見地から、販売担当者の依頼に応じて、品質に関するクレームの処理、新規使用の適合品種の選定、指導、各種製品の取扱いに関する説明、その他各地の相談に応待せしめ、顧客の信頼を獲得するためのLPGセールスエンジニアを置かねばならない必要性が生じた。そこで会社は本社潤滑油部にLPGセールスエンジニアを常時置くことに決し、LPGの研究、製造に当つている川崎製油所の従業員の中から一名選ぶことにした。
申請人高山は、前記のような経歴を有し、会社に入社して以来、川崎製油所製造部製油管理課試験係員として勤務し、当時ガスクロ係の総括を担任しており、LPGの性質、取扱方法等について最も豊富な知識と経験を有していたもので、会社はLPGセールスエンジニアとして同人を最適任と認め、同人に対し、昭和三九年一〇月一日付をもつて本社潤滑油部陸上課へ異動を命じた。なおLPGセールスエンジニアという職務は、LPGの専門技術者でなければ遂行できない高度の専門技術的職務なのであつて、各社ともLPGの専門技術者を多数セールスエンジニアとして選任しており、専門技術者がセールスエンジニアに就任することは全く通常のことであつて、むしろ専門技術者であるからこそセールスエンジニアに就任させうるのである。しかるに申請人高山は、受命の日より一週間以内に赴任すべきこととなつていたのにこれに応ぜず、以後再三説得したのに右業務命令を無視する態度を貫き、七ケ月余りを空費した。申請人高山の右所為は懲戒解雇事由を定める就業規則一一〇条四号(会社の指揮命令に従わず業務に対する熱意、誠意がなく怠慢な者)に該当し、その情が重いので懲戒解雇したものである。
(二) 申請人五十嵐ら三名関係
組合は昭和四〇年三月一三日会社に対して、本社組合と同一の書面で前記のような諸要求を提出した。会社は直ちに二つの組合と交渉を開始したところ、本社組合とは数回の労使懇談会および団交を行つただけで同年四月三〇日全面的に妥結するに至つた。しかるに申請人五十嵐ら三名は、前記のとおり組合役員をしていたものであるところ、今次争議においては、いわゆる組合三役として拡大斗争委員会の委員となり、その中心的な地位にあつて、次に述べるとおりの違法不当な争議行為の企画、指令および指導に当ると共に、自ら率先実行し、もつて会社の職場秩序を紊乱し、業務を妨害し、かつ信用を毀損して甚大な損害を与えた。
(イ) 争議権濫用
本件争議は個々の違法不当な争議行為はしばらくおくとしても、同年四月から六月初旬にかけて一ケ月余りの間、全面スト、部分スト、残業拒否斗争等の争議行為を行うこと自体、次のとおり争議権の濫用として違法不当なものである。すなわち、会社は、今次春斗要求の眼目ともいうべき賃上要求については誠意をもつて同業他社の水準を上まわる回答をし、その他の経済的要求についても、当時の苦しい経営状態の下で最大限のものを回答したものであり、現に多数の従業員を擁する本社組合は同額の回答で同年四月三〇日に妥結しているのであつて、その後も組合が争議行為に訴えねばならない必要性は全くないというべきである。
ところが組合は、本件争議の目的は主として高山配転撤回と事前協議制確立の要求を貫徹することにあるとして、容易に妥結するに至らなかつた。高山配転問題については既に一三回の労使懇談会において十分説明したが、組合は頑迷にその主張を固執しているので、やむなく公平な第三者の斡旋に付することまで提案し、実際に神奈川県地方労働委員会(以下単に「地労委」という。)に斡旋申請をしたが、組合は斡旋に応ずることを拒否したものであつて、会社としては、これ以上手の施しようがなかつた。また事前協議制の要求にしても、昭和三九年五月三〇日長期の争議の後、組合執行委員九名について事前協議協定が成立したばかりであるのに、わずか四、五ケ月後に再び全組合員に事前協議制を拡張することを要求して争議を行うのは、右協定を無視し、その平和義務に違反するものである。実際のところ、かような不当な要求のための争議が許されるならば、労使間の紛争は止まるところを知らず、遂には会社が崩壊することは必至である。
本件争議によつて原油の精製業務が停止したので、会社は他の石油業者に、海外の原油業者と締結した既存の購買契約に基き購入する原油の精製を委託せざるを得なかつた。その結果、委託料、運賃等の経費総額はおよそ二億六、〇〇〇万円以上に達し、これから従業員の賃金その他支払を免れた金員を差引いても、二億五、〇〇〇万円の損害を蒙つたばかりか、資金繰りに重大な支障を生じ、株主や得意先の非難をあび、信用を著しく毀損されたことはいうまでもない。
以上のとおり、本件争議が争議権の濫用として違法不当なものであることは明らかであつて、かような争議を企画指導し、自ら実行した申請人五十嵐ら三名はその責任を免れえないものである。
(ロ) 保安要員の引揚げ
会社は、昭和四〇年五月八日、翌九日午後五時以降ロツクアウトする旨組合に通告すると共に、その後も従来どおりの保安要員を提供するよう要請したところ、組合は直ちに文書をもつて、ロツクアウト以後は争議行為を組合員全員の無期限ストに切りかえて、保安要員を全員引揚げる旨回答し、九日同時刻より一切の保安要員を引揚げた。そしてその後も保安要員を提供しないので、会社はさらに文書をもつて従来と同様保安要員一二名の就労を要請したが、遂に本件争議終結までこれに応じなかつた。
ところで、会社と組合との間には、昭和三一年締結された保安協定があり、その後の争議においては必ず保安要員の提供がなされてきた。これはいうまでもなく製油所内に火災その他の緊急事態が発生した場合に対処するためであるが、殊に他の産業と異り、危険物を大量に抱えている石油工場においては、事故の発生は絶対に許されず、万一爆発、火災が発生した場合、即座に初期消火をしないときは石油やガスに引火し、その被害は有体動産のみならず多数の人命にまで及び、かつ密集せる工場地帯にあつては、会社の構内だけにとどまらず社会的災害をひきおこす危険がある。従つて組合が本件争議において一切の保安要員を引揚げるという挙にでたことは、単に右協定ならびに慣行に違反するばかりでなく、労働関係調整法(以下単に「労調法」という。)三六条に違反する強度の違法性を有するものといわなければならない。申請人五十嵐ら三名は、右協定の存在を知りながら、あえてこの暴挙を計画し、組合員に指令して実行せしめたものであつて、その責任は重大である。
(ハ) ピケツト
組合内部においても、右のように違法不当な争議を執拗に繰り返す組合幹部のやり方に批判の声が上り、遂に同月二五日約七〇名の組合員が組合を脱退して新組合を結成した。そして翌二六日新組合員が就労のため正門より入構しようとしたところ、右三名の組合幹部の指導により旧組合員および外部団体の者一〇〇名余りが正門の前にピケを張り、実力をもつて新組合員の入構を阻止した。新組合員は三〇分間余り正門からの入構を試みたが、どうしても入構を阻止されたので、引返して第二工場裏門より入構しようとしたが、ここにも旧組合員らがピケを張つており、正門前でピケを張つていた者の応援を得て、実力で入構を阻止した。そのため新組合員は遂に入構できず、その後もピケは継続されたので、会社はやむなく翌二七日、二八日、二九日の三日間横浜ポートサービスの通船を借受け、新組合員を海上輸送して就労させた。
さらに同月二九日午前中緊急の出荷のため、タンクローリー車(以下単に「ローリー車」という。)二台が第一工場正門より入構しようとしたところ、旧組合員らはピケを張り、路上に横になつたり、車の上に乗つたりして入構を阻止し、同日午後も同様にローリー車二台の入構を阻止した。翌三〇日も旧組合員らは三回にわたりローリー車四台の出入構を執拗に妨害し、これらの車輛は辛うじてピケを破つて出入するといつた状態であつた。
かような正当性を逸脱したピケによる業務の妨害はその後も本件争議終結の直前まで継続された。申請人五十嵐ら三名はかかる違法不当な争議行為を企画、指令し、ピケの現場において指導し、自ら率先してピケに参加したものである。
(ニ) 面会強要
申請人五十嵐ら三名は、同年五月一九日近藤社長、成島専務取締役、駒井勤労部長、沢山第一販売部長の私宅に組合員四、五名をして押しかけさせ、その家族に面会を強要し、会社ならびにその役員を非難攻撃させた。
(ホ) ビラ貼り等
組合は、争議中、正門その他会社の建物の数箇所に赤旗数十本を乱立させ、道路わきの会社の万代塀一面、タンク車その他の箇所に「原潜くるな」「物価値上反対」「配転反対」その他その記載内容が著しく悪質なビラを貼り、また大多数の組合員が着用している作業服の背中には、会社が、服務規律に反するからとして再三にわたり職制を通じて取りはずしを命じたにも拘らず、同様の記載をしたゼツケンと称する布を掲げて行動し、会社の職場秩序を紊乱させた。
さらに組合は、今次春斗を前にして、昭和三九年一二月一六日職場委員会において職場新聞の発行を企画し、以後これを日刊新聞と称して、毎日会社およびその職制の信用を毀損し、職場の秩序を混乱させるような虚構の記事を掲載した悪質なビラを配るなどの行動に出た。
申請人五十嵐ら三名は、これらの行動を企画、指導し、自ら率先して実行したものである。
(ヘ) 解雇手続
以上に述べた申請人五十嵐ら三名の違法不当な行為は、懲戒解雇事由を定めた就業規則一一〇条四号(前記のとおり)および、同条一六号(一〇六条ないし前条の違反行為を行い情状最も悪質な者)、一〇九条二号(故意に業務に支障を来させた者)、同条五号(故意に会社の信用を損うような行為をした者)に該当し、その情が重いので、会社は右三名を懲戒解雇にするのが相当であると認めた。そこで会社は、事前協議協定は存在しないが、組合に対して協議を尽したいとの考えから、同年五月三一日文書で本件解雇の理由の要旨を通知すると共に、協議を申入れ、同日および六月一日の二回にわたり協議を行つたが、組合がただ反対しているのみであつたので、やむなく協議を打切り、同日右三名に対して口頭で懲戒解雇の通告をしたのである。
三、解雇理由に対する申請人らの答弁
解雇理由(一)の事実中、申請人高山の学歴、会社における職務、配転を命ぜられたことおよび配転を拒否して懲戒解雇されたことを認め、その余の事実を否認する。
同(二)の事実中、組合が昭和四〇年三月一三日会社に対し、本社組合と同一の書面をもつて被申請人主張のような要求をしたこと、組合が同年四月から六月初旬にかけて一ケ月余りの間、全面スト、部分スト、残業拒否斗争等の争議行為を行つたこと、昭和三九年五月三〇日に事前協議協定が成立したこと、会社が昭和四〇年五月九日以降ロツクアウトをしたこと、同日組合が保安要員を全員引揚げたこと、同年五月二五日新組合ができ、翌二六日以降新組合員が就労しようとしたこと、会社が同年五月三一日、六月一日の二回申請人五十嵐ら三名の解雇に関する協議を申入れたこと、会社が右三名を懲戒解雇したことを認め、その余の事実を否認する。組合は保安要員引揚げの際、事前に担当課長の了解を得て、会社側職制に業務の引継を円満にしている。また、会社の事前協議の申入れは、単に事前協議協定違反の非難を形式上のがれるための政策的意図から、右両日の団交の最後の段階で突然協議申入書なるものを組合側に提出するに至つたもので、会社には初めから誠意ある協議を尽す意思は全くなかつた。
第三、疎明関係<省略>
理由
第一、認定事実
一、被申請人は、肩書地に本社を、神奈川県川崎市水江町に製油所を、その他の全国各地に営業所を有し、石油の精製と販売を業とする株式会社であり、申請人らは、いずれも会社に雇傭され、川崎製油所に勤務していたものであり、申請人五十嵐は組合の執行委員長、同川崎は副執行委員長、同昼間は書記長であるところ、会社は昭和四〇年五月一二日申請人高山を、同年六月一日申請人五十嵐、同川崎および同昼間をそれぞれ懲戒解雇した。
右各解雇当時、賃金として毎月二〇日限り、申請人高山は一ケ月金三四、一〇〇円、同五十嵐は一ケ月金三八、七〇〇円、同川崎は一ケ月金三三、一〇〇円、同昼間は一ケ月金二八、三〇〇円の支給を受けていたが、会社は右解雇を理由に、昭和四〇年六月以降の賃金を支払わない。
以上の事実は当事者間に争いがない。
二、成立に争いのない疎甲第四ないし第六号証、同第三四ないし第三六号証、同第六七ないし第七一号証、疎乙第一、二号証、同第一四号証、同第三三号証、同第五八号証の一、二、同第五九号証の一ないし三、同第六〇、六一号証の各一、二、申請人高山堯本人尋問の結果によつて真正に成立したものと認める疎甲第五三号証、前掲疎乙第五九号証の一によつて真正に成立したものと認める疎乙第五九号証の四、弁論の全趣旨によつて真正に成立したものと認める疎甲第六一、六三、六四号証、疎乙第六五号証、証人菊地清一、同渡辺三郎、同成島龍男の各証言、申請人高山堯、同五十嵐昭三各本人尋問の結果を綜合すると、次の事実が認められ、右認定を覆えすに足りる疎明はない。
1 申請人高山は、昭和三〇年三月東京理科大学化学科を卒業した後、昭和三二年一月早稲田大学理工学部応用化学燃料化学研究室(山本、森田研究室)に研究助手として就職し(以上の事実は当事者間に争いがない。)、石油系炭火水素を原料とした高温接触分解による合成ガスおよび都市ガスの製造とそれに用いる触媒の研究および製造されたガス分析の研究に従事し、その成果の一部は日本化学会の三三年会、三四年会の研究発表講演会において発表された。
2 ところで、会社では、昭和三七年から川崎製油所第二工場の装置が稼働することになつており、LPGの生産を行う予定であつたので、その前に、そのための準備として各種の分析を手がけておかなければならない事情にあつた。しかし会社には、そのための装置であるガスクロを扱つた経験者がいなかつたので、是非ともそのような技術者を必要としていたところ、会社の技術系重役である百武部長が早稲田大学理工学部応用化学科の卒業生であつて山本、森田両教授とも関係があつたことから、その縁故で申請人高山が会社に入社することとなつた。申請人高山は、昭和三五年五月ごろ、昭和三六年三月の大学卒業見込者と一緒に筆記試験と口頭試験を受けて、昭和三五年八月一日に入社した(入社年月日は当事者間に争いがない。)。入社当日同人は森田教授と共に本社建設本部の百武部長を訪れ、その際、同部長から、技術者として採用したので、川崎製油所の試験係試験室に配属される旨言われ、その後社長に挨拶に行つた際、社長から「技術を生かして会社のために働いてもらいたい。工場は川崎だけだが、そこで頑張つてくれ。」と激励された。
なお、申請人高山は、同月二〇日付で会社に誓約書を提出しているが、それには「私こと、この度貴社に採用されましたに就ては次のことを誓約致します。一、諸規定を守り、よく上長の指図に従ひ誠実を旨とし職務に勉励します。二、貴社業務の都合により出張又は各地事業場に転勤する場合異議は申しません。」との記載がある。
3 申請人高山は、同月二日から川崎製油所に勤務し、蒸溜係、洗滌係を各一週間程実習した後、試験係試験室に配属され、そこで約一〇日間各種油の一般試験を実習してから交替班に班入され、交替勤務となつた。翌三六年一月ガスクロが購入されてからはその担当者となり、交替勤務をやめて通常勤務(日勤)となつた。その後申請人高山が各種試験を行つた結果、人員が一名では不足であることが判明したので、同年末ごろ新入社員で大学時代にガスクロを使用したことのある甲斐種千代が補充され、その後種々の実験が行われた末、昭和三七年春ごろには、殆んど準備態勢が整つた。同年七、八月ごろ第二工場が試運転され、同年九月ごろには正常運転されるようになつた。その後さらに一台のガスクロが購入され、昭和三八年半ごろから精密分溜装置を使つて試験も行うようになり、同年秋ごろには佐々木俊三が補充されて、申請人高山の仕事はガスクロの全般的指導とガソリン分等のガスクロ分析に重点を移した(申請人高山がガスクロによる組成分析に従事したことは当事者間に争いがない。)。
4 ここで、申請人高山の行つていた仕事について検討してみると次のとおりである。すなわち、それは大きく分けて、ガスクロを使つての製造工程における実用的な試験と、精密分溜装置をも併用した研究的な試験とであつて、前者は、LPG製造工程の各過程から試料を抽出してその組成分析を行い、運転が正常になされているか否かをチエツクするものであり、後者は、会社が軽質ナフサ(軽質ガソリン)を石油化学工業の原料として供給していた呉羽化学からそのガスクロ分析の試験成績表(成分表)を示して欲しいという要請が昭和三九年春ごろなされたが、当時は未だその試験方法が確立されていなかつたことと、石油会社の研究室又は試験係の組成分析の最高責任者によつて組織されていた石油学会第五分科会組成分析専門委員会(申請人高山もその委員であつた。)においてもその試験方法についての共同研究がなされており、今後の問題点として、精密分溜装置による軽質分除去と、その軽質分のガスクロ分析などの試験方法の併用等の必要性が検討されていたこともあつて、会社の試験室においても、両機械を併用して申請人高山だけがその試験方法を研究していた。
5 昭和三七、八年ごろからガソリンのかわりにLPGを使つた自動車が流行して来るにつれて、その消費量は増大していつたが、それに伴つて事故が続発したので、その販売量を増加するためには、単なる事務的なセールスマンのみではなく、LPGの性質やその取扱いに明るい技術者をセールスエンジニアとしてその販売に当らせ、顧客の信頼を得ることが必要となつた。ところで、LPGセールスエンジニアの業務内容は、セールスマンと一緒に得意先をまわり、LPGについて専門的な説明を要する場合にはその知識を活用して販売に協力することを主とするほかクレームがついた場合にはその処理に当ることであるが、クレームにつき、製品に問題があつて分析を必要とするような場合には、サンプルを持ち帰り、それを研究所や試験室に持つていつて分析してもらい、その結果を聞いて判断するというもので、自ら分析を行うようなことはほとんどない。その他の業務としては、LPGの在庫整理、販売数量の整理、各社との価格協定における折衝などの事務的な仕事であつて、川崎製油所の試験室におけるように、自ら実験、研究をするという業務ではない。
6 昭和三九年春ごろLPGの販売を取扱う本社潤滑油部陸上課からLPGのセールスエンジニアとして技術者の配転の人選を求められた川崎製油所では、製油管理課長心得立川岩夫が人選に当つたが、同人は選考基準として、(1)LPGについて専門的知識のある人、(2)大学卒で化学を履修した人、(3)年令、社会経験の若くない人、との基準を設け、これに適合する申請人高山および前記甲斐種千代の二人のうち、申請人高山の方がLPGに詳しいとの理由で同人を選出した。そこで会社は、昭和三九年一〇月一日付で申請人高山に対し、本社潤滑油部陸上課へセールスエンジニアとして移るように命じたが、同人はこれを拒絶した(この事実は当事者間に争いがない。)。その後同人と会社との間で右配転について何度か文書のやりとりがあつたが、結局解決できなかつた。
7 なお、試験係から本社へ転勤した例についてみると、昭和三五年五月ごろ本山道夫、山田泰司、河野弘道が直接本社へ、島根政彦、土井道祟が川崎製油所次長室企画調査課を経て本社へ、申請人高山が入社した昭和三五年八月以降についてみると、昭和三六年五、六月ごろ岡田尚孝が直接本社へ、昭和四〇年に永瀬六郎、大阪弘二、田中義人が直接本社へ転出した。また、熊崎照は川崎製油所において試験係に所属し、その後品質管理係に所属し、石油学会においても申請人高山の前任者として組成分析専門委員をしたこともあるが、申請人高山と同じころ異動を命ぜられて、そのころ本社潤滑油部販売技術課の燃料油関係のセールスエンジニアとして転出した。そして申請人高山が本件配転を拒絶した後である昭和四〇年一二月初めごろ佐々木俊二がセールスエンジニアとして出張という形で二週間ほど本社へ行き、その後岡本久信が正式にセールスエンジニアとして配転された。しかし、試験室でガスクロを扱つていた者で本社へ配転されたものは一人もいなかつた。
8 ところで、申請人高山は、昭和三五年一二月ごろ組合に加入し、翌三六年二月試験係の職場委員に選出され、そのころから組合活動にも積極的になり、組合機関紙にも投稿するようになつた。そして昭和三七年二月二日から翌三八年一月三日まで執行委員長(この事実は当事者間に争いがない。)として活発な組合活動をし、組合の代表として全石油産業労働組合協議会(以下単に「全石油」という。)にも出席した。昭和三八年一月末に行われた組合役員予備選挙においても、役員候補に当選したが、体調が思わしくなかつたため執行部役員として活動することに困難を感じ、選挙管理委員長宛に辞退届を提出し、その中に、「もし仮りに健康を害している小生に執行部を務めよという事態になりましたならば、この辞意は変らぬ故、本辞退届をもつて組合脱退届にかえさせて頂きます。」と書いて、辞意の固いことを表明した。その結果、組合執行部役員となることは免れたが、昭和三七年から続けていた全石油「月報」の編集委員を引続いて担当し、毎月の編集委員会に出席して企画編集を行い、また昭和三八年一月からは、新たに設けられた教宣部員となつて、一般組合員を対象とした学習会、その準備のための教宣部会、教宣部員の学習会等の中心となつて活動すると共に、斗争時には統合部副部長として、執行部の留守中の組合員の統率に当つていた。
申請人高山は、前述のように会社との交渉が思うように進まなかつたため、組合に対し配転問題の交渉を一任した。その結果、昭和三九年一一月二七日付で組合から会社に対し、「当組合は、組合員高山堯氏の昭和三九年一〇月一日付転勤問題に関し、本人より一任されましたので、今後起りうる一切の問題については、その交渉を組合とされるよう申入れます。」との申入れがなされ、高山問題は組合と会社との間の問題に移行した。
三、前掲疎甲第五三、六七号証、同第六九ないし第七一号証(一部)、疎乙第五九号証の一ないし三、第六〇号証の一、二、成立に争いのない疎甲第一〇号証、疎乙第一二、四六号証、申請人昼間忠男本人尋問の結果により真正に成立したものと認める疎甲第五四号証、証人渡辺三郎の証言により真正に成立したものと認める疎乙第一九号証、証人成島龍男の証言により真正に成立したものと認める同第三二号証、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認める疎甲第五六ないし第五九号証、同第六二号証、証人菊地清一、同渡辺三郎、同駒井長一郎、同成島龍男の各証言、申請人五十嵐昭三本人尋問の結果(一部)を綜合すると、次の事実が認められ、右認定に反する疎甲第六九ないし第七一号証の記載の一部および申請人五十嵐昭三本人尋問の結果の一部はたやすく措信できず、他に右認定を覆えすに足りる疎明はない。
1 会社には、川崎製油所の従業員で組織している製油所労組と、本社および全国の営業所に勤務している従業員で組織されている本社組合との二つの組合があり(このことは当事者間に争いがない。)、昭和三四年ごろ右二つの組合の統一の話がもち上つたが、一旦立消えになつた。ところが、昭和三七年ごろから統一の話が再燃し、昭和三八年には話が具体化して専門委員会もでき、昭和三九年九月一二日の本社組合定期大会においては、年内統一案が圧倒的多数によつて採択され、同月二一日に行われた製油所労組の定期大会においては、本社組合の三役から、「全東亜実現のために統一準備委員会をただちにつくり、統一の話合をはじめましよう。」との呼びかけがなされ、それに応じて、統一準備委員会が結成された。この準備委員会は両組合から各三名の委員が出て構成され、本社組合からは鈴木副委員長、野崎書記長外一名、製油所労組からは申請人である川崎副委員長、同じく昼間書記長、市川調査部長がこれに当てられた。
同年一〇月三日に開かれた第一回統一準備委員会では、一〇月中に統一することを目標に努力することが約束され、さらに、
(イ) 両組合の職場の意見を集約して、第二回統一準備委員会を一〇月一四日に行い、
(ロ) ただちに規約起草委員会を双方三名ずつ合計六名で発足させて、規約の作成にかかる。
(ハ) 一〇月一五日支部役員と職場委員との交流会を行う。
などということが決定された。
ところが、同月一〇日本社組合の野崎書記長に対して、伊東営業所への配転辞令が出されたため、同月一四日の統一準備委員会、一五日の交流会を行うことができず、ようやく同月二七日になつて第一回統一準備委員会を開催することができたにとどまつたため、一〇月中の統一は達成できなかつた。このため、両組合は、会社のこのような措置を激しく非難すると共に、同年一二月七日に開いた統一準備委員会において、同月一九日に結成大会を行うことを確認し、それまでの準備として次のことを決定した。
(イ) 七日以降両組合は規約の職場討議を行い、一六日に再度準備委員会をもつてそれを整理する。
(ロ) 一〇日大会準備の実行委員会を行う。実行委員会の構成は規約起草委員会の構成と同じ(鈴木(裕)、野崎、鈴木(登)、川崎、昼間、市川)。同時に役員選挙規程をも審議する。
(ハ) 結成大会は一二月一九日午後一時より、大井町の南部労政会館で行う。
しかし、一二月一九日の統一大会は反対者があつたために流れてしまつたが、その際統一準備委員会で、「賛成率は九五パーセント強だが、反対者を説得する努力を続けたい。それでも納得してくれなければ仕方がない。五パーセントの意見を無視しても一月に統一をする。」ということが確認された。ところが、昭和四〇年一月二七日に開かれた統一準備委員会では、本社組合から、「一月二六日関東近辺の支部役員を集めて話合つたが、一月三〇日の統一大会はだめになつた。支部役員の中に製油所労組に対する根強い不信感があり、とてもついていけないといつている。九人の支部役員のうち、七、八人は製油所労組についていくのがいやだという言葉を使つている。そういう人を引きずつて統一すると後に問題を残す。執行部としては昨年の投票結果、統一賛成九五パーセントを信用したが、そこに甘さがあつたと反省している。」との言明がなされ、結局両組合の統一は不成功に終つた。
2 申請人高山は、組合統一の準備委員にはならなかつたが、統一には賛成であり、そのためのビラ入れなどの活動にも積極的に参加し、また元執行委員長としての同人の言動の他の組合員に与える影響力には無視しえないものがあつた。前述の申請人高山に対する本社への配転命令は、右のような情況の下において、昭和三九年一〇月一日付でなされたのであり、また右配転命令に関する会社との交渉権限が同年一一月二七日ごろ製油所労組に委任されたのである。同労組は、高山の配転は不当であるとして、同年一〇月五日以降この問題について労使懇談会において会社側と話合つたがらちがあかないため、同年一一月一七日から数度にわたつて団体交渉を申入れたが、会社側はいつも、この問題は人事権に関する問題であることおよび労働協約に定める事前協議の対象ではないことを理由としてこの申入れを拒否した。同年一二月三日には会社から申請人高山に対し、「本状到達の日より遅くも七日以内に赴任すること、又右期日以降の賃金はすべて赴任先において取扱われるものであると共に爾今製油所における就業は禁止する。」旨の通告がなされた。かたわら労使懇談会は一〇回位開かれたが、何らの結論も得られなかつた。
3 昭和四〇月三月一三日付で会社に対して春斗要求書が提出されたが、これは本社組合と製油所労組とが同一の書面によつてなしたものであり(以上の事実は当事者間に争いがない。)、次のうち最初の四項目は両組合共通の要求であり、その余は製油所労組の単独の要求である。
(1)賃金増額に関する件、(2)住宅手当増額に関する件、(3)食費の一部会社負担に関する件、(4)労働時間短縮に関する件、(5)回答に関する件、(6)最低保障に関する件、(7)定員確保と四直二交替制確立に関する件、(8)不当配転反対と事前協議制の確立、((イ)組合員高山堯の不当配転をただちに撤回すること、(ロ)全組合員を対象とした事前協議を締結すること)、(9)交替手当支給に関する件、(10)健康保険料の会社負担増額に関する件、(11)嘱託者の待遇に関する件、(12)時間外作業手当等の割増率引上げに関する件、(13)有給休暇増加に関する件。
そして、製油所組合は、同年四月九日スト権を確立し、右要求に基いて、同月二四日までに、会社と労使懇談会を三回、団体交渉を九回開き、三回のストライキを行つたが、妥結するには至らなかつた。なお、この間の団交においては、高山配転問題を除いてはかなりの歩みよりもなされたが、組合側が高山配転問題をとりあげようとすると、会社側は高山が異動の場合の事前協議協定の対象となつていないことを理由に、団交事項ではないとして実質的な交渉に応じなかつたため、高山配転問題については、団交の席上ではみるべき話合がなされなかつた。
同年四月二四日になつて会社側は地労委に対し、前記一三項目の春斗要求全部についての斡旋申請をしたが、組合側は、高山配転問題について、十分な団交もしない段階で地労委の斡旋に応じても満足な解決は得られないであろうし、十分な団交をしないまま地労委の斡旋に応ずるということは、労使間の問題を団交で自主的に解決するという原則を放棄することに通じ、結局は団交権を自ら否認することに等しいとの認識に立つて、斡旋に応ずることを拒否した。このため高山配転問題が障害となつて事態は解決のきざしをみせないまま日時は経過した。
この間、同月三〇日本社組合は製油所労組とは離れて、独自に会社の回答を受諾して春斗の終結をみるに至つた(このことは当事者間に争いがない。)。なお、このときの賃上高は、同業他社に比してかなり高いものであつた。
四、前掲疎乙第三二号証、成立に争いのない疎甲第一五号証、疎乙第二一ないし第二四号証、同第三一号証、申請人五十嵐昭三本人尋問の結果により真正に成立したものと認める疎甲第五〇号証、証人矢野光輝の証言により真正に成立したものと認める疎乙第三七号証(一部)、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認める疎甲第七四、七五号証、疎乙第四四号証、証人矢野光輝、同渡辺三郎、同駒井長一郎の各証言の一部、申請人五十嵐昭三本人尋問の結果および弁論の全趣旨を綜合すると、次の事実が認められ、右認定に反する疎乙第三七号証の一部、証人駒井長一郎、同矢野光輝の各証言の一部はたやすく措信できず、他に右認定を左右するに足りる疎明はない。
1 製油所組合では、昭和四〇年四月二六日から五月八日までに全面スト、部分ストを合わせ一三波に及ぶストライキが行われたが、五月八日の団交の席上で会社側から組合側に、左のようなロツクアウト通告書が手交された。
「昭和四〇年四月九日以来貴組合が行つている不当なる争議行為に対して、会社は企業防衛上已むを得ず左記の通り作業所閉鎖を行い組合員による操業を停止する。依つて紛争解決まで組合員が組合事務所以外の構内に立入ることを一切禁止する。閉鎖日以降の組合員の賃金は一切支払わない(但し保安要員を除く。)右通知する。
一、場所 川崎製油所
二、期日 昭和四〇年五月九日午後五時以降本件紛争解決まで
三、組合員全員(但し保安要員を除く。)」
これに対して組合側は、「会社がロツクアウトをやれば、その時より保安要員も引揚げ、全面無期限ストに突入する。」旨の通告をした。そして、ロツクアウトは右通告どおりに実施され、それと共に組合側により消火施設安全施設(後記3記載)の維持運行に従事する組合員たる保安要員全員が引揚げられ、組合は全面ストライキに突入した(ロツクアウトおよび保安要員の引揚げがなされたことは当事者間に争いがない。)が、右施設の運行に従事する保安要員以外の一般警備・保安に従事する要員二四ないし二六名が引続き就業しており、さらに製油所構内には、会社の下請業者たる志村興業の従業員四〇名ないし五〇名が常におり平常は、原油船が着いた場合のパイプ接続作業、出荷作業、各種装置の掃除、排油の汲上その他の雑務に従事し、本件操業停止中は、主として漏油の処理、廃油の回収その他の雑務に従事していた。
ところで、会社においては、昭和三一年六月二三日組合との間に次のような保安協定が結ばれている(保安協定の存在については当事者間に争いがない。)
「東亜石油株式会社と東亜石油川崎製油所労働組合とは、労働関係調整法三六条に基き左の協約を締結し、互に誠意を以てこれを遵守することを確約する。
第二条 (争議中の協定勤務者)
争議中であつても会社及び組合双方に於て必要と認めた事業場に於ける安全保持のため、施設の正常なる維持又は運営に従事するものとして左の各号に該当する組合員は協定勤務者として保安の任にあたる。
一、守衛 全員(交替制ニヨル)
二、電話交換手 二名(定時間)
三、業務課 一名(定時間)
四、製油課蒸溜係 一名(交替制ニヨル)
五、製油課洗滌係 一名(交替制ニヨル)
六、製油課試験室係 一名(定時間)
七、工務課電気係 一名(交替制ニヨル)
右氏名は組合より事前に通知する
第四条(有効期間)
この協約の有効期間は昭和三一年六月二三日より昭和三二年六月二二日迄とする。
第五条(改廃の手続)
本協約の期間満了に際して会社又は組合の何れか一方より、この協約の改訂をしようとするときは期間満了一ケ月以前に改訂案を添えて相手方に申入れなければならない。
2 前項の申入れがなく期間が満了したときは、この協約は更に一ケ年間の期間を限つて更新されたものと見做し二ケ年以後はこれを繰返す。」
その後右協約の改廃はなされないまま本件に至り、争議時における保安要員は、右協定に従つて、その都度組合側から提供されていた。本件争議に際しても、組合側からは、昭和四〇年五月六日付で「保安要員御通知の件」と題する書面が会社に提出され、それに従つて保安要員が提供されていた。
保安要員引揚げ後の同月一四日会社は組合に対して、最少限の保安要員を提供されたい旨文書で通告したが、争議妥結に至るまで提供されなかつた。
2 この間会社は、管理職等の非組合員を動員して保安業務に従事したが、引揚げ前の保安要員数と引揚げ後のそれとを比較してみると別表のとおりとなる。そして、会社側においては、この間保安要員として本社ないし他の営業所から川崎製油所に応援人員を派遣したことはなく、結果的にはほとんど支障は生じなかつた。
3 ところで、ボイラーを停止するには最低二四時間位かかるものであるところ、同年五月八日になつて、会社側のロツクアウト通告に対して組合側が保安要員を引揚げることが明らかになつてきたので、会社側は、保安要員が引揚げられた状態でボイラーを運転しているのは危険であるとの判断から、同日午後四時四〇分ごろボイラーの火を落したため、保安要員が引揚げられた段階では運転停止の状態にあつた。
川崎製油所は、京浜工業地帯の中心に位する約一九万平米の敷地に、引火点の非常に低い原油、揮発油、ジエツト燃料、LPG等およびその他の可燃性物質の製造、貯蔵装置が散在しており、一度出火した場合には、早期に消火しない限り爆発を起し、ひいては大災害を招き、独り工場のみならず近隣の諸施設にも累を及ぼし、人命にも多大の危険を招来するのであろうことは明らかである。
右災害を防止するため、工場内の各所に消火装置、器具を具え、また各種の安全施設を備えている。すなわち、(1)消火設備として固定式泡消火装置、固定式海水消火装置、海水揚水ポンプ設備、空気発泡消火剤、動力化学消防車、消火器、貯油槽固定池放出設備、水噴霧消火設備、消防用水槽、火災報知器等があり、(2)安全設備として保安電力設備(自家発電設備等)、緊急放出設備(安全弁、フレア・スタツク装置等)、緊急遮断設備(緊急遮断弁)、警報設備、不活性ガス・水蒸気注入設備等があり、(3)その他貯油槽安全設備(通気管、引火防止装置、アース等)、構造物安全設備(耐火・防火構造、避雷設備)、防爆型電気設備(電動機、開閉器類、照明設備)、静電気除去設備(アース)等がこれである。その維持、運行に従事する保安要員の勤務は、受持担当区域内の施設、装置、器具等の安全保持ならびに異常の早期発見と応急措置、具体的には各担当区域を巡廻して装置、配管の圧力調整、漏油の早期発見とそれに対する応急措置、および自然発火、電気スパーク等による火災の早期発見とその早期消火等を主たる内容としている。右のうち海水ポンプ設備および自家発電設備の主な用途はむしろ石油精製工程に用いることにある。
なお、本件保安要員引揚げ時には、会社側が既にボイラーを停めていたために、水蒸気注入設備が使えなくなり、また自家発電機は必要な場合に直ちに使用できる状態ではなくなつていた。また、操業停止中の保安要員の任務は、前記の任務のうち、漏油や火災の早期発見とそれに対する応急措置であり、装置、配管の圧力調整の任務はその必要性が減少する。
4 右に述べたように、川崎製油所において、一度火災が発生した場合には爆発を誘致し、大災害を起す危険があるので、その防遏のため各種の安全保持の施設とこれが運行に当る保安要員を置いて製油所構内の労働者の人命や施設に対する安全を保持しているのであるが、大災害の原因となるのは火災発生であるところ、その火災発生の危険性は、操業の全面的停止時においては、通常の場合生じるものではない。すなわち、前述のように、川崎製油所には引火点の非常に低い物質があり、最も低いものは摂氏零下二〇度位でも引火するが、操業停止時において右引火が生じるのは、漏油事故があり、かつ偶々これに近接した火源の存在する場合であつて、自然発火の事故は通常起らないものである。しかして、操業停止時の漏油事故は操業中に比し、タンク、配管その他諸装置内の油圧が低いこと並びにタンク等では元バルブが閉止してあること等のためその頻度及び量において著しくすくなく、火源の存在の可能性は、蒸溜、改質、ボイラー加熱炉が火止めしてあること、各装置、ポンプ室等のポンプが停止してありそれらの専用動力源が切つてあること、熱油がないこと、静電気放電がないこと等のため絶無に近い程度に激減するものである。また自然発火が、通常起らない理由は、ガソリンでさえその発火点は大体摂氏二〇〇ないし三〇〇度であつて、操業停止中にこれだけの熱油が生じるものとは考えられず、さらに自然発火の原因であるウエストの使用はなくなり、また装置、タンク、パイプ等の解体補修掃除も行われないため硫化鉄も生じないからである。(因みに、被申請人が立証するところの過去の火災例についてみると、疎乙第三八号証のテキサス精油所の火災は、加熱器に使用していた裸火が漏洩したペンタンとヘキサンの混合蒸気に引火したものであり、同第三九号証のシグナルヒル製油所の火災は油槽中に間違えてポンプで注水したか又は油槽底部の水相を攪拌したことによつて爆発が生じたものとみられるものであり、同第四〇号証の昭和石油の火災は、激しい地震によるものであり、同第四一号証の被申請人の川崎製油所の火災は、原油を加熱炉で摂氏三〇〇度以上に熱したこと、ガス化してガソリン、灯油、軽油等を分離する装置である常圧蒸溜装置の中央蒸溜塔内の気化したガソリンが漏出し、外気に触れて自然発火したものとみられるのであり、いずれも操業中か地震という異常事態に基くものであつて、本件のような操業停止中の火災発生の危険性を判断するには適当でない。その他疎乙第三七号証には会社に発生した数回の火災事故について記載してあるが、そのほとんどが作業中ないし操業中のものであり、他は発火原因不明であつて、これまた必ずしも本件には適切な資料とはならない。)
5 次に保安要員引揚げ中に発生した事故についてみると次のとおりであり、この外特にとりあげるべき事故はなかつた。
(イ) ガス回収装置の安全弁からの石油ガスの漏出事故
昭和四〇年五月八日ごろガス回収装置の安全弁から、石油ガスが漏出していることが発見されたが、ボイラーが止まつていて水蒸気注入設備が使えなかつたために適切な処置ができず、同月三一日まで少量の漏出が続いた。しかし、漏出ガスはフレヤースタツクに入るようになつていたため、危険性は全くなかつた。
(ロ) タンク群内配管伸縮接手部からの揮発油の漏出事故
同月一三日午後一時四〇分ごろ第五ポンプ室とジエツト燃料油製造タンク七二三番の間を連結している地上配管の途中に取付けてある伸縮接手取付箇所から、揮発油が糸を引く様な状態で漏出しているのが発見された。配管に取付けてあるバルブを開いて配管内圧力を抜いたら漏油が停止した。
(ハ) 廃油の海上流出事故
同年五月二一日午前一一時三〇分ごろ雨水排水管から海上に廃油が流出していることが発見された。
五、前掲疎甲第五四号証、申請人五十嵐昭三本人尋問の結果により真正に成立したものと認める同第四八、四九号証、証人駒井長一郎の証言、申請人五十嵐昭三本人尋問の結果によれば、組合の拡大斗争委員会では、組合が無期限全面ストライキを行つている理由を、会社役員にも理解してもらう必要があると決し、その結果、昭和四〇年五月一九日組合員がその趣旨を記載した文書をもつて、会社の役員宅を訪問して、その旨説明したことが認められ、右認定に反する疎明はない。
被申請人は、「申請人五十嵐ら三名は、右訪問の際、組合員をして、会社役員の家族に面会を強要し、会社ならびにその役員を非難攻撃させた。」と主張するが、右主張を認めるに足りる疎明はない。
六、前掲疎乙第五九号証の一ないし四、成立に争いのない疎甲第一一号証、同第一二、一三号証の各一、二、同第一七、二〇、七二号証、疎乙第六〇号証の一、二、申請人五十嵐昭三本人尋問の結果により真正に成立したものと認める疎甲第一四、一六号証、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認める疎乙第二五、二六号証、証人沢田一雄、同菊地清一、同渡辺三郎の各証言、申請人五十嵐昭三本人尋問の結果を綜合すると、次の事実が認められ、右認定を覆えすに足りる疎明はない。
1 川崎製油所においては、昭和三九年七月末ごろ係長全員(組合員である者も非組合員である者もいる。)で親睦団体としての係長会が結成されたが、昭和四〇年四月ごろから、組合員である係長から春斗のやり方についての批判が起り、係長会での話合が提案され、その結果開かれた同月三〇日の会合では、事態を収拾するために次のことが決められた。
(イ) 組合員である係長は積極的に組合の集会に出て意見を述べ、説得を行うこと。
(ロ) 機会を見て、組合指導部に対する説得、会社側からの事情聴取を行うこと。
同年五月四日係長の一人である黒田藤次郎らによつて、「我等が同胞に訴える!」と題し、組合執行部の方針を批判するビラが従業員に配布され、同月九日午後一時頃から「日航ホテル」に有志の係長が集まり、会社側からの事情聴取が行われた。その席には、会社側から三浦川崎製油所長、駒井勤労部長、渡辺事務部長が出席して、組合との関係、経営上の問題、ロツクアウトを行うに至つた経緯などの説明が三〇分位なされた。翌一〇日「富士パーラー」に組合員である係長が一〇名位集まり、組合執行部をリコールするために臨時大会開催要求の署名運動を行うこととし、組合員である係長によつて署名運動が行われた。そして同月一八日黒田藤次郎、沢田一雄、石井治義の三名の係長は五十嵐執行委員長に対し、組合規約に定める組合員の三分の一の署名が集まつたことを理由に、同月二〇日までに臨時大会を開催するよう要求した。これに対して五十嵐委員長は、「署名を見せないで三分の一の署名があるといつても証明にならない。署名簿を提出して下さい。その署名が三分の一あるということの確認は、一人一人確認をしなければならない。だから内密の部屋で第三者である全石油の委員長でも入れてやつたらどうか。」と答え、結局話合は物別れに終つた。同月二〇日黒田藤次郎、沢田一雄、山本米夫の三名の係長は組合三役と会い、同月二三日に臨時大会を開催するよう要求したが、その場の様子からとても見込がないと判断し、翌二一日新組合結成のための「趣意書」を作成し、同月二三日にそれを従業員に配布して勧誘し同月二五日五八名出席の下に新組合の結成大会を開催し、黒田藤次郎が議長となつて、執行委員長に沢田一雄、副執行委員長に水田勲、書記長に津村洋一を選出し、即日会社と団交して妥結し、翌日から就労することになつた(新組合の成立については当事者間に争いがない。)。
2 その間会社は、数回にわたり組合員の入社の際の保証人に対し、電報や手紙で、組合執行部の指導に迷わされることのないように助言されたい旨連絡した。また、五月二〇日付新聞紙上に、会社の社長は、「いまのところ組合側の分裂を待つ以外にない状態だ。しかし保安のうえからも、いつまでもこのままにはしておけず、地労委の強制斡旋による調停で解決への目途をつけたいと思つている。」との談話を発表した。
七、前掲疎甲第五四号証、疎乙第二六号証、同第五九号証の一ないし三、同第六〇号証の一、二、証人渡辺三郎の証言により真正に成立したものと認める同第三〇号証、昭和四〇年五月二六日の川崎製油所第一工場正門前の状況の写真であることに争いのない疎検甲第二、三号証、同日の東亜会館前の状況の写真であることに争いのない同第四、五号証、川崎製油所第一工場正門前の状況の写真であることには争いがなく、証人渡辺三郎の証言によつて、同日の状況の写真であると認める疎検乙第一一、一二号証、証人沢田一雄の証言により同月二八日の第一工場桟橋の状況の写真であると認める同第四六号証、証人駒井長一郎、同菊地清一、同沢田一雄(一部)、同渡辺三郎(一部)の各証言、申請人昼間忠男、同五十嵐昭三(一部)各本人尋問の結果を綜合すると、次の事実が認められ、右認定に反する証人沢田一雄、同渡辺三郎の各証言の一部および申請人五十嵐昭三本人尋問の結果の一部はたやすく措信できず、他に右認定を覆えすに足りる疎明はない。
1 昭和四〇年五月二六日午後一時ごろ川崎製油所の近所にある東亜会館に集合した新組合員は、就労するため第一工場正門に向つたが、そこには旧組合員一〇〇名余りが、同組合の三役に指揮されて四列横隊でスクラムを組んでピケツトを張つていたため、工場内に入ることはできなかつた(新組合員が就労しようとしたことは当事者間に争いがない。)。新組合員はピケ隊に向つて、「われわれは昨日妥結して就労するのだから入れろ。」と言い旧組合員は新組合員に罵声を浴びせたりして、新旧両組合員の間に、「入れろ。」「入れない。」の激論が二〇分位なされたが、結局らちがあかなかつたため、ここからの就労を諦め、新組合員は最初の打合せどおり、第二工場の裏門へ向つた。そこには旧組合員二〇名位が二列横隊にピケを張つていただけだつたが、正門にいた旧組合員一〇〇名位が応援に来たためここからの入門も諦め事前に第三の方法として予定していた第二工場の正門からの入構を試みるべく、前記東亜会館のところまで来て第二工場の正門の方を見ると、壁伝いに、一〇米に一人位の割合で旧組合員が立つているので、新組合の執行部は、このような状態で就労を強行するのを躊躇していると、折柄付近にいた、旧組合の応援に来ていた全石油の菊地執行委員長が、旧組合の三役をまじえて話合つてくれ、と申入れて来たので、場所を借りて話合うこととし新組合の執行委員黒田藤次郎が会社の総務課と交渉して会議室を借りた。会合には、旧組合側から菊地全石油委員長、三井地協委員長と組合三役、新組合側から三役と黒田執行委員が出席し、自己紹介の後、就労について話し合つたが、結局、新組合側は当日の就労を諦めて解散となつた。以上の経過の中で、とりたてて暴力行為としてとりあげるべきものはなかつた。
その後、新組合員は今後の就労方法について話合つたが、「このまま明日就労を強行したら流血をみるのではないか。」との意見が大分出て、結局、会社から船を出してもらつて海岸から就労することに決定した。
2 同月二七、二八、二九日の三日間新組合員は、計画に従い会社が借りた船を利用して海岸から工場に入つたため、旧組合員のピケに会わずに就労できた。三〇日には第一工場の正門と第二工場の裏門の二手に分かれて入構を試みたが、後者の組は全然ピケに会わず、前者の組も旧組合員二〇名位に会つただけでほとんど支障なく就労でき、三一日もほぼ同様の状態であつた。
この間新組合員の数は、当初の五八名から、五月三一日に一一二名、六月一日に一二〇名、六月一四日に一九〇名となり、従業員の四分の三を占めるに至つた。
八、前掲疎甲第五四号証(一部)、昭和四〇年六月一日の川崎製油所第一工場正門前の状況の写真であることに争いのない疎検甲第六、七号証、証人市岡徳三郎の証言により、同年五月二九日の同正門前の状況の写真であると認める疎検乙第四七ないし第五二号証、同月三〇日の同所の写真であると認める同第五三ないし第五七号証、同年六月二日の同所の写真であると認める同第五八号証、証人市岡徳三郎の証言、申請人昼間忠男本人尋問の結果(一部)を綜合すると、次の事実が認められ、右認定に反する疎甲第五四号証の記載の一部、申請人五十嵐昭三、同昼間忠男(一部)各本人尋問の結果はたやすく措信できず、他に右認定を覆えすに足りる疎明はない。
1 前述のようにして生産を再開した会社では、昭和四〇年五月二八日に、翌二九日川崎油槽所に向けてローリー車二台の出荷をすることとした。これに対して旧組合では、基本的には、会社は真に出荷する意図はなく、ただ出荷できるかどうかをテストするにすぎないとの認識に立ちつつも、もし会社がどうしてもローリー車を入れようとする場合には、ピケツトを張つて運転手を説得して協力を求めるが、それ以上にあくまでも入構を阻止することはしないとの確認をした。
同月二九日午前一〇時ごろ出荷のため下請運送会社のローリー車二台が第一工場正門から入ろうとしたところ、門と平行に組合のテント用材があつたので、ローリー車を停止して守衛らがこれを片付けている間、門の傍のテントで見張りをしていた四、五名の旧組合員のうち、一、二名が組合事務所へ連絡に行き、他の組合員がローリー車の前にスクラムを組んで立ちふさがつた。暫くして三、四〇名の旧組合員が来て、申請人五十嵐ら三役の指揮の下にピケツトを組み、入構しようとするローリー車を阻止し、旧組合員のうちのある者は運転台のドアを開け「ばかやろう。降りろ。」等と罵声を浴びせる者もいた。このようにして三〇分位多少もみ合いともいうべき行為を続けた末、暫く様子をみようということで、運転手は車を降りて一五分位休憩していたが、ピケ隊が去る様子もなかつたので、二台の車は入構を諦めて帰つた。
同日午後一時過ぎ再び二台のローリー車が出荷のために来たが、この時も見張つていた旧組合員の連絡により出て来た、申請人五十嵐に指揮された四、五〇名の旧組合員により、四、五重のピケツトを張られたため、結局入構を諦めて帰つた。
2 翌三〇日ローリー車四台の出荷をすることになり、午前一〇時ごろに二台、一一時ごろに二台の車が来ることになつた。同日午前一〇時ごろ二台のローリー車が第一工場正門に到着し、入構しようとしたところ、正門の傍らのテントにいた三、四名の旧組合員のうち一人が車の前に立ちふさがろうとしたが、付近にいた職制に阻止されたため、二台の車は入構できたが、他の旧組合員の連絡によつて来た二、三〇名位の旧組合員が正門にピケを張つて、積荷を終つて出構しようとする前記二台の車の前に立ちふさがつたりして、車の進行を阻止しようとしたので、会社側では一四、五名の旧組合員以外の者の応援を得てこれを排除しようとした。このため双方の間で押し合いなどがなされたため、二台の車が出構できないでいる間、一一時ごろ更に二台のローリー車が到着して入構しようとしたので、最初の二台を阻止していた旧組合員の半分が後の二台を阻止するためにその方へ行きある者は運転台に上つて罵声を浴びせたりした。このようにして二手に分かれて、出入構しようとする車を阻止せんとする旧組合員を、旧組合員以外の者によつて排除しつつ、一二時近くになつてようやく出入構できた。なお、三〇日には申請人ら旧組合三役は自宅待機していたため現場には一人も居合せなかつた。
3 五月三一日には出荷はなく、六月一日以降の出荷に際しては、会社側でも対策を練り、旧組合員以外の者の協力を得て出荷に努力したため、旧組合員のピケには会つたが、結果的には、大した支障もなく出荷することができた。
九、前掲疎乙第一四号証、同第六〇号証の一、二、成立に争いのない疎甲第二四ないし第二六号証、疎乙第二九号証、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認める同第六三号証、証人渡辺三郎、同駒井長一郎の各証言を綜合すると、次の事実が認められ、右認定を覆えすに足りる疎明はない。
1 以上に述べた経緯の中において、会社は、昭和四〇年五月八日付で申請人高山に対し、同月一一日午前九時までに配転に応じないときは懲戒解雇する旨の通告をし、それに応じなかつた同人を前述のように同月一二日懲戒解雇し、更に同月二七、八日ごろ申請人五十嵐ら組合三役の懲戒解雇を決定し、前述のように同年六月一日これを懲戒解雇した。
2 なお、旧組合は、昭和四〇年六月三日会社に対して、「当組合は、この争議を平和的円満に解決する為に、昭和四〇年六月五日午前八時三〇分より、無期限全面ストライキを解除し就労する意思のあることを通知する。会社も直ちに、ロツクアウトを解除することを申入れます」と記載した文書を提出し、これに対して会社側は翌四日「会社は、組合の争議行為が再び繰返えされない保証がつき、かつ就労態勢が完備すれば、直ちにロツクアウトを解除する。その時期は追つて指示する。」との回答をした。そして更に、同月七日会社側は、「昭和四〇年五月一〇日より実施した川崎製油所のロツクアウトは、同年六月八日午前八時三〇分より解除するので、同日より平常通り就労せられたい(但し、被解雇者を除く。)。」旨の通告を発し、右同日時から現実に旧組合員も就労し同月一四日には旧組合と会社との間に春斗に関する合意をみてようやく妥結するに至つた。
3 以上の本件争議によつて原油の精製業務が停止したので、会社は、海外の原油業者と締結した既存の購買契約に基き購入する原油の精製を、他の石油業者に委託せざるを得なくなつた結果、委託料、運賃等の経費総額はおよそ二億六、〇〇〇万円位に達し、これから従業員の賃金その他支払を免れた金額を差引いても、二億五、〇〇〇万円位の損害を蒙つた外、資金繰りにも重大な支障を生じ、また得意先からも非難を受けた。(なお、被申請人は、株主からも非難を受けた旨主張するが、右主張を認めるに足りる疎明はない。)
一〇、前掲疎甲第五四号証、川崎製油所第二工場南側塀の状況の写真であることに争いがなく、証人渡辺三郎の証言により昭和三九年一二月二六日の状況であると認める疎検乙第一、二号証、三社共用通路脇の状況の写真であることに争いがなく、右証言により右同日の状況であると認める同第三号証、右証言により昭和四〇年一月五日の第二工場南側塀の状況の写真であると認める同第四号証、右証言により右同日の塩浜操車場の状況の写真であると認める同第五号証、川崎製油所第一工場食堂南側の状況の写真であることに争いがなく、右証言により右同月二六日の状況であると認める同第六号証、第一工場工門横の状況の写真であることに争いがなく、右証言により右同日の状況であると認める同第七号証、川崎製油所第一ポンプ室南側の状況の写真であることに争いがなく、右証言により同年五月九日の状況であると認める同第八号証、第一工場正門の状況の写真であることに争いがなく、右証言により右同日の状況であると認める同第九号証、証人市岡徳三郎の証言により同月一八日の川崎製油所本館事務所東側の状況の写真であると認める同第四五号証、弁論の全趣旨により同月一一日の第一ポンプ室北側の状況の写真であると認める同第四〇号証、同日の第一工場正門の状況の写真であると認める同第四一号証、証人渡辺三郎、同駒井長一郎の各証言を綜合すると、組合は右争議中、第一工場正門その他会社の建物の数箇所に赤旗数十本を立て、会社の万代塀、タンク車、その他の箇所に「不当配転反対」「アメリカはベトナムから手をひけ」「会社側は一方的にロツクアウトを行い斗争は増々激化を呈して来ました。このような重大な時機に法律で保障されている労働者の団結権を放棄し、組合を脱退して、組合の斗争力を弱め、自分の利益しか考えない卑劣な奴を許す事は出来ない。断じて構内へ入れる事は出来ない。中村鉄蔵、小宮良子、椙村弘子の卑劣な奴を断じて就労させるな!我々組合員は団結による平和的解決を求めている。」等と記載したビラを貼り、また多数の組合員は右と同様の内容を記載したゼツケンを背中に着用して行動したことが認められ、右認定に反する疎明はない。
被申請人は、「組合はビラを万代塀一面に貼り、右ビラやゼツケンの記載内容が著しく悪質であり、また会社は、服務規律に反するからとして再三にわたり職制を通じてゼツケンの取りはずしを命じた。」と主張するが、右事実を認めるに足りる疎明はない。
一一、被申請人は、「組合は、昭和三九年一二月一六日職場委員会において職場新聞の発行を企画し、以後これを日刊新聞と称して、毎日会社およびその職制の信用を毀損し、職場の秩序を混乱させるような虚構の記事を掲載した悪質なビラを配るなどの行動に出た。」と主張するが、右事実を認めるに足りる疎明はない。
一二、成立に争いのない疎甲第二号証によれば、会社の就業規則には次のような規定が存在することが認められ、右認定に反する疎明はない(一〇九条、一一〇条については当事者間に争いがない。)。
六六条一項 業務の都合により従業員に対し任免を行い転勤、職場、職務の変更を命ずることがある。
一一〇条 従業員が次の各号の一に該当する場合は懲戒解雇に処する。但し平素の勤務態度、勤怠その他情状により出勤停止に止めることがある。
四号 会社の指令命令に従わず故意に職場の秩序をみだした者
一六号 一〇七条乃至前条の違反行為を行い情状最も悪質な者
一〇九条二号 故意に業務に支障を来たさせた者
五号 故意に会社の信用を損うような行為をした者
第二、判断
以上の認定事実に基いて、会社のなした各懲戒解雇が有効か否かについて判断する。
一、申請人高山関係
申請人らは、申請人高山に対する解雇の無効原因として、「申請人高山は雇傭契約上ガスクロ関係の専門技術以外の労務の提供をなすべき義務はないのであるから、右専門技術以外の業務である本社潤滑部陸上課への配転命令に従わなかつたからといつて、これを理由に申請人高山を解雇するのは権利の濫用である。」と主張するので考えるに、一般に、職務内容の変更は労働契約の内容の変更であるから、当該労働契約によつて予め予定された範囲を超える程度の、著しい職務内容の変更は、会社の一方的命令によつてはなしえないものというべきである。そこで、本件労働契約についてみると、前認定(第一、一二参照)のように、会社の就業規則六六条一項には、会社は、「業務の都合により従業員に対し転勤、職場、職務の変更を命ずることがある。」との規定が存在するのであるから、労働契約締結に際して、申請人は、会社が一方的に職務内容の変更を命ずることを予め同意していたものと解されないこともない。しかしながら、就業規則中に右のような一項目を設けたからといつて、従業員が無制限に職務の変更を予め承諾し、会社側に一方的な職種の変更権を与えたものと解するのは相当ではなく、そこには自ら一定の限界があるものというべく、その限界は、当該労働契約締結の際の事情、従来の慣行、当該配転における新旧両職務間の差異、特に技術者においては、その過去の経歴に照らして将来にわたる技術的な能力、経歴の維持ないし発展を著しく阻害する恐れのあるような職種の転換であるかどうかを綜合的に判断して、合理的であると考えられる範囲において画されるべきものであり、その限度においてのみ、従業員が職務内容の一方的な変更権を使用者に与える旨同意したものと解することができるが、それ以上の著しい職務内容の変更は、もはや使用者の一方的になしうるところではなく、従業員の当該配転に対する個別的な同意があつて、初めて有効になしうるにすぎないものというべきである。
これを本件についてみるに、申請人高山の入社前の経歴、入社の際の経緯、入社後配転前の職務内容(第一、二、1ないし4参照)を見れば明らかなように、同人は、入社前は大学の研究室でガス分析や触媒研究、その他の高度な専門技術的研究、実験に従事していたものであり、会社も、その専門技術を必要としたがために同人を招聘し、入社後も、同人は、他の試験室員とは異り、単にLPGの製造工程における分析試験に止まらず、より高度な分析方法を開発すべく研究するなど、終始、いわゆる研究者的な職務に従事していたものであるのに対し、配転命令によつて命ぜられた職務(第一、二、5参照)は、申請人高山の入社後にその必要性が生じたために設けられた新しい職場であるうえ、営業部門であつて、右のような研究的要素のない、全く異質の職場である。そして、前認定(第一、二、7参照)のように、過去において川崎製油所試験係から本社へ配転された者は何人かいるが、申請人高山のように、試験室でガスクロを扱つていた者が本社へ(従つて当然セールスエンジニアとしても)配転された者は一人もいない状態である。なお、前述(第一、二、2参照)のように、申請人高山は、入社直後、会社へ誓約書を提出したが、それには、「貴社業務の都合により出張又は各地事業場に転勤する場合異議は申しません。」との一項目があるが、「職種の変更」については何ら触れるところがない。以上のような諸般の事情を綜合して考えると、前記就業規則六六条一項が存在するからといつて、本件のように、会社にとつては、申請人高山の有する専門的な知識を活用できるものである点において非常に有利であるが、配転される申請人高山にとつては、全く異質の職種であつて、その専門的技術、知識を研鑽する機会がなく、申請人の技術的能力、経歴の維持ないし発展を著しく阻害する恐れのある職種への配転までもが、事前の同意によつて、会社に一任されているものと解するのは、極めて困難であつて、到底賛同しえない。
以上要するに、会社の申請人高山に対する配転命令は、労働契約内容の一方的な変更であるから、同人がこれを承諾しない以上、同人にはこれに応ずべき義務はないものというべく、これを拒絶した申請人高山の行為には何ら咎めるべき点はない。従つて、これを拒絶したことを理由とする本件解雇は、何らの正当な理由もなくなされたこととなり、権利の濫用として無効であるから、申請人高山の申請は、その余の点を判断するまでもなく、いずれもその理由があるものというべきである。
二、申請人五十嵐ら三名関係
申請人らは、「申請人五十嵐ら三名に対する解雇は、何ら正当な事由なくなされたものであつて、権利の濫用として無効である。」と主張し、被申請人は、「申請人五十嵐ら三名は、昭和四〇年春斗において、いわゆる組合三役として拡大斗争委員会の委員となり、その中心的な地位にあつて、違法不当な争議行為の企画、指令および指導に当ると共に、自ら率先実行し、もつて会社の職場秩序を紊乱し、業務を妨害し、かつ信用を毀損して甚大な損害を与えたので、就業規則一一〇条四号、一六号、一〇九条二号、五号により懲戒解雇したものである。」と主張して、個々の事を挙げるので、この点について考察する。
1 争議権濫用
被申請人は、先ず「本件争議は個々の違法不当な争議行為はしばらくおくとしても、経済的要求に対し、会社が同業他社の水準を上まわる回答をしたのに、高山配転撤回等の要求を頑迷に固執し、会社の地労委に対する斡旋申請にも応ぜず、長期間にわたつて全面スト、部分スト、残業拒否斗争等の争議行為を行つて、会社に多大の損害を与えたことは、争議権の濫用として許されない。」旨主張するので考えるに、本件争議の発端、経過およびその結果は前認定(第一の一ないし九参照)のとおりであり、組合の活動家である申請人高山に対する不当な配転(第二、一参照)に始まり、会社側が、高山配転問題については事前協議の対象でないことを理由に、労使懇談会には応ずるが、団体交渉には応じないという態度をとつたことが、組合側を強く刺激して、紛争長期化の一因をなしたものである。配転問題については、事前協議の対象となつていない場合であつても、労働条件に関する事柄であり、且つ会社側の処分しうる事項であるから、団交の対象となるのは当然のことであるので、争議が長期化したことについては会社側にも一半の責任があるといわねばならない。また、本件争議の目的は、単に経済的な諸要求に止らず、右のような高山配転撤回要求の他に事前協議制の確立の要求を含むものとなるところ、右経済的諸要求、高山配転撤回要求が本件争議の主要な目的であり、これが正当性は、前に説示したとおり明白であるから、たとえ、事前協議制の確立要求が平和義務に違反するとしても、それは副次的なものにすぎず、右目的が附加されたことによつて、本件争議がその目的においてその正当性を失うものではない。そうであるとすれば、会社が経済的要求に対して、同業他社の水準を上まわる回答をしたからといつて、争議を続けてはならないものでもなく、また、会社が地労委に斡旋申請したからといつて、本件におけるような会社と組合との団交の状況からすれば、これに応じないで団交開催を要求して争議行為を継続したことが権利濫用になるとはいえない。その他被申請人の主張立証するすべての事情を考慮しても、本件争議行為を継続したこと自体をもつて、争議権の濫用ということは到底いえないので、この点に関する被申請人の主張は採用の限りでない。
2 保安要員引揚げ
次に被申請人は、組合が保安要員を引揚げたことは労調法三六条および会社、組合間の保安協定に違反する旨主張するので、この点について検討する。
前記保安要員の引揚げ(第一、四、1参照)が、保安協定(前同参照)に違反することは明らかであるが、右保安協定の締結によつて会社に対して保安義務を負うのは、協定の当事者としての組合自体であつて、個々の組合員ではない。また、右協定違反の争議行為は、契約上の債務不履行を構成するという意味では違法であるが、この債務不履行を計画し、組合員をして実行せしめたからといつて申請人五十嵐ら組合三役の行為が、就業規則(第一、一二参照)に規定する意味における、そしてまた、通常、解雇を正当づけるものであるところの企業秩序を紊す行為に該当するということはできないから、右保安要員の引揚げが労調法三六条に違反するか否かなどの、実質的違法性の有無の検討を度外視して、単に保安協定違反の故をもつて、組合員個人(それが組合役員であると否とを問わない。)の責任を追及して、懲戒解雇ないし通常解雇の理由とすることは許されない。
労調法三六条は、ストライキに対する一つの制限規定であつて、とくに人命の安全保持の見地から「安全保持の施設」の「正常な維持又は運行を停廃」するストライキを違法なものとして禁止している。高度に進歩した近代大企業には、それぞれその企業に特有の危険性が包蔵されており、各企業は、それに対応する多くの安全保持の施設を有し、その維持運行に保安要員が従事しているのであるから、右要員が職場を引揚げれば、右施設の正常な維持、運行は停廃するのが通常である。しかし、この場合においても常に人命に危害を及ぼすものとは限らないのであつて、危害が及ぶかどうかは、ストライキの時点において、当該企業の危険性を具体的、綜合的に観察し、保安要員の引揚げによつて直接人命に対する危険性が具体的、客観的な因果の法則から予測される場合にはじめて本条項に定める「安全保持の施設」の「正常な維持又は運行を停廃」するストライキとして、それが違法性を帯びるに至るのである。けだし、右条項の法目的は、消極的労務の不提供たるストライキによつて人的危害ないし企業全体の物的施設を破壊するが如き結果の発生を防止することにあるのであるから、そのような具体的危険性のない場合に右条項の発動する余地はないからである。
そこで、本件争議において、組合が保安要員を引揚げたことにより、川崎製油所に右にいう具体的危険が発生したかどうかを判断する。
川崎製油所において、火災が発生した場合、これを早期に消火しないと爆発を起し、人命に危害を及ぼし、製油所全体の施設を壊滅させるほどの大災害を招く恐れがあり、このような災害を防止するため、製油所内の諸施設、業務の遂行について、消防法、高圧ガス取締法その他災害防止に関する法規による規制が行われるほか、法定の消火設備、安全設備が完備し、その正常な維持、運行に保安要員が従事しているので、平常時、右のような大災害の起る危険はない。ところで、本件争議中昭和四〇年五月九日会社はロツクアウトを実施し、これに対抗して、組合は即日、全面無期限ストライキに突入し、消火施設、安全施設(第一、四、3記載参照)の維持運行に従事する組合員たる保安要員を全員引揚げたのであるが、同日以降同月二七日新組合員が就労するまでの間製油所の操業は完全に停止され(ボイラーは、同月八日会社の指示により火を落していた。)、右消火施設、安全施設の維持運行に従事する会社職員は、従前からそれに従事していた部課長、嘱託その他の非組合員一九名(第一、四、2及び別表記載参照)となり、そのほか、右施設の運行に従事する保安要員以外の一般警備、保安に従事する要員二四ないし二六名が引続き就業し、さらに製油所構内には、会社の下請業者志村興業の従業員四〇ないし五〇名が常に入構しており、これらの従業員の平常時の仕事は、原油船が着いた場合のパイプ接続作業、出荷作業、各種装置の操業中床面にこぼれた油の掃除、廃油の汲上作業その他の雑務に従事し、本件操業停止中は、主として漏油処理、廃油の回収その他の雑務に従事していた。このような情況の下で果して具体的な危険性があるといえるであろうか。人命に危害を及ぼし、製油所施設全体を破壊するような大災害の原因となるのは火災の発生である。火災発生の危険性は、操業の全面的停止時においては、通常の場合には生じるものではない。このような操業停止時において火災が生じるとすれば、漏油事故があり、かつ偶偶これに近接した火源の存在する場合であって、自然発火の事故は、通常起らないものである。というのは、漏油事故は、操業中に比し、タンク、配管その他諸装置内の油圧が低いこと、タンク等では元バルブが閉止してあること等のためその頻度及び量において著しく少なく、火源の存在の可能性は、蒸溜、改質、ボイラー加熱炉が火止してあること、各装置、ポンプ室等のポンプが停止してあり、それらの専用動力源が切つてあること、熱油がないこと、静電気放電がないこと等のため絶無に近い程度に激減するものであるからである。また、自然発火が通常起らない理由は、ガソリンでさえその発火点は、摂氏二〇〇度ないし三〇〇度であつて操業停止中これほどの熱油が生じることはなく、さらに自然発火の原因となるウエストの使用はなくなり、また装置、タンク、配管等の解体、補修、掃除も行われないから硫化鉄も生じないことになるからである。以上火災の発生原因である漏油事故及び火源の存在の有無は、もとより操業が全面的に停止されている場合、製油所内の諸施設自体から生じ得るものを検討したものであるが、説示の通り漏油事故が皆無であるというのではない。現に、この期間中漏油等の事故が三件生じたことは前段認定の通りである。しかしながら、この程度の事故の発見は、従前から消火設備及び安全設備の維持運行に従事し、それらに従事していた組合員たる保安要員の引揚後も引続き就業していた前記部課長、嘱託その他の非組合員一九名で賄い得る筈であり、その事後処理は、本来そのような業務の下請会社の従業員として本件操業停止中も製油所構内に在つた志村興業の従業員四〇ないし五〇名を以て十分行い得たと考える。また、一般警備保安に従事する要員二四名ないし二六名は、本件操業停止中も平常時と変ることなく就業していたものと推認されるから、外部からの侵入による危険の発生も生じ得ない。そうすると、本件保安要員の引揚げによつては、製油所に労調法三六条の発動すべき前提要件たる具体的危険性は発生していないから、右引揚げを以て同条に違反するとする被申請人の主張は理由がない。
3 ピケツト
被申請人は、申請人五十嵐ら組合三役が旧組合員をして、新組合員の就労を阻止させ、また、ローリー車による出荷を阻止させたことを理由に、右三名の責任を問うているので、先ず、右ピケツトが正当であるか否かを判断するに先だち、如何なる場合に如何なる形態のピケツトが許されるかについて考えてみる。
ストライキの本質は、労働者が労働契約上負担する労務供給義務の不履行にあり、その手段、方法は、労働者が団結してその持つ労働力を使用者に利用させないことにある(最判昭三三・五・二八(大)刑集一二・八・一六九四参照)ことは勿論であるが、それが、単純に労働者個人がその労働力を売らないということではなく、労働者の要求貫徹のための集団行動、集団的圧力形態としての労務供給拒否である限り、それが単に右の範囲内で行われるのでは、実際上ほとんどその効果をあげ得ないことは明らかである。従つて、ストライキを行う者が、それを実効あらしめるために単なる労務提供拒否以上の何らかの行動に出ることもまた当然のことであり、その一つの形態が本件で問題となつているピケツトである。
このピケツトの許される限界については、純粋な平和的説得すなわち言論による説得の範囲に限られるとの説があるが、これを厳格に貫くことは、労使の利害が尖鋭に対立する争議時の、しかもその最前線ともいうべきピケツトに対する理論としては、実際上ピケツトそのものを否定するに等しいものというべく、そのままの形では当裁判所の到底採用し得ないところである。これに対して、他の説は、労働者は、市民法的自由によつて生存の必要をみたしえないゆえにこそ、これと対立するみずからの規範を作りあげてきたのであり、スト破りをしないこと、ピケラインの尊重ということは、まさに労働者のモラル、労働者階級の社会規範であることを理由に、ピケラインを越えようとする者に対しては、スクラムによつてこれを阻止することができるとする。しかしながら、この説によるときは、少数の従業員をもつて構成する組合がストライキを行う場合にも、就労しようとする多数の従業員をスクラムによつて阻止することを認める結果となつて妥当でない。まして、以前から組合が二つ存在し、ある争議において一つの組合が妥結して就労しようとする際に、他の少数組合がその条件では妥結しないであくまでもストライキを行つて、ピケツトを張つた場合を考えれば、右理論の不当性が明らかであろう。けだし、この場合にも、就労しようとする一方の組合員はピケラインを尊重しなければならず、あくまでも就労しようとする場合には、スクラムによつて阻止されても、止むを得ないとすることは、結果的には、数組合が存在する場合においても、各組合に争議終結の自由を認めず、最も強硬な争議手段をとる組合に統一させることを認めるに等しく到底是認し得ないからである。また、使用者との関係において考えても、従業員の一部がストライキを行う場合にも、残りの従業員を総動員し、いわゆる職制と呼ばれる者にもその本来の職務以外の労務を行わせて、営業を継続することは本来自由なはずであり、その結果が右ストライキを実質的に無意味ならしめたとしても、それは当該組合の組織力不足による止むを得ない結果というべきであつて、少数組合がストライキをする場合にも、それを実質的に効果あらしめるためには、使用者がスクラムによつて営業の継続を阻止されても、これを甘受すべきものということはできない。このように考えると、後者の説をそのままの形で適用することはできないものというべきである。
以上のことから明らかなように、ピケツトの許容される範囲を考えるに当つては、他の従業員との関係、使用者との関係等諸般の事情を考慮しなければならない。そこで考慮すべき諸般の事情について少し検討してみよう。先ず、その態様において暴行・脅迫にわたる行為(如何なる行為が暴行、脅迫と評価されるかは、具体的事情によつて異る場合があり、勿論抽象的にこれを決することはできない。)が許されないことは、労働組合法一条二項に徴して明らかであり、この意味において、ピケツトは平和的なものでなければならないが、ピケツトがストライキを実質的に効果的なものにするためのものであることを考えると、就労しようとする者を単に言論で説得する行為のみならず、スクラムを組んで就労しようとする者を、説得の契機を作り、これを説得するに相当とする時間立ち止まらせる行為も、言論による説得を可能ならしめるための予備的行為として、またそれ自体団結の示威による説得として可能であるといわなければならない。しかし、右の相当時間は、ピケツトの対象となる者の種類によつて異るものというべく、職制(それが本来の職務を行おうとする場合であろうと、ストライキ実行者の代替業務を提供しようとする場合であるとを問わない。)、その他の当該ストライキを行つている組合員以外の従業員(ストライキが始まる以前からの非組合員)については、その時間は比較的短い時間に限られるべきであろうが、その対象がストライキ開始後に当該組合から脱落した者については、その時間は比較的長時間、場合によつては双方が互に暴力行為に及ぶことなく、単に集団の示威としてのスクラムによつて就労を阻止する結果となることも許されることがあろう。けだし、その者は、一般的にいえば団結が最も要求される場合に、それを内部から破壊するものといえるからである。しかし、右の場合においても、ストライキの目的、手段の当否、脱落の理由、数、態様等によつては、単なる脱落とは評価できない場合もあり得るし、一方的に脱落した組合員のみを責めることが、かえつて正義に反する場合があり得るから、結局、ピケツトの許容性の範囲は具体的事情によつて決する以外にない。また、争議の過程における会社側の態度も考慮されるべきである。特にピケツトに対する態度が暴力的であつたり、挑発的である場合には、それに対応してなされたピケツトの許容性の範囲はかなり広いものとなるであろう。
以上の前提のもとに、申請人五十嵐ら旧組合員によつて行われたピケツトについて考える。
まず、新組合員が就労しようとした際になされたピケツト(第一、七参照)について考えてみると、右ピケツトの際、組合員はスクラムを組んではいたが、暴行、脅迫にわたるような行為はなされておらず、その対象は、前認定(第一、六参照)のように、その目的手段において正当であるストライキ実施中に、その真相はともあれ、旧組合側からみた場合には、会社側の介入があつたと認められてもやむを得ない情況のもとで旧組合から分裂した者を主たる構成員とする新組合の組合員であるから、スクラムによつてこの就労に対抗することも、ある程度許容されるものと解される。そして、結局新組合員らは、このピケツトに会つて、約二〇分位やりとりをした後、川崎製油所第一工場正門からの入構を諦め、その他の場所においては、もつと簡単に入構を諦めてしまつたのであるから、これはピケツトによつて入構を絶対的に阻止されたというよりは、むしろスクラムの示威および言論による説得に、渋々ながらではあるが応じたものであると評価すべきものであり、これをもつて、違法視するのは当をえないものというべきである。
次にローリー車に対するピケツト(第一、八参照)について考えるに、この際には、暴行、脅迫とまではいえないにしても、多少威力にわたる行為がなされたことは事実である。しかしながら出入構しようとするローリー車に対して説得を行うためにこれを止めようとする場合には、人に対する場合に比して説得の契機を作るため多少高度の威力が用いられるのはそれが自動車の破壊行為に及ばない限り当然のことといえること、組合側の認識は、会社側には真に出荷する意図はなく、単に出荷できるかどうかをテストするためにローリー車を出入構させるにすぎないとの点にあり、当時の情況からして、このような認識に立つのも決して理由のないことではないこと、この出荷は、前述のように、ストライキ実施中、会社側の介入があつたと認められてもやむを得ない情況のもとにできた新組合の組合員が、前認定(第一、七参照)のような態様によつて就労した結果に基くものであること等の事情からすれば、他の場合に比して、高度の阻止行為がなされるのもやむを得ないものというべきであるから組合員らがローリー車を止めるのに三〇分位多少のもみ合いをした末、運転手において、自ら下車し、一五分休憩し、結局二台とも入構を諦めるに至らしめたことは、必らずしも右ピケツトを以て、その許容性の範囲を超えたものとはいえず、そのうえローリー車が下請会社のものであつたことは、純粋の第三者に対するピケツトとは異り、むしろ会社側に準じて考えられるべきであるとの事実を附加すれば本件ピケツトをもつて違法なものということもまた当を得ないものである。
以上の次第であるから、この点に関する被申請人の主張は理由がない。
4 面会強要
被申請人は、「申請人五十嵐ら三名は、昭和四〇年五月一九日に近藤社長、成島専務取締役、駒井勤労部長、沢山第一販売部長の私宅に組合員四、五名をして押しかけさせ、その家族に面会を強要し、会社ならびにその役員を非難攻撃させた。」と主張するが、前認定事実(第一、五参照)によれば、右主張の理由がないことは明らかである。
5 ビラ貼り等
被申請人は、「組合は、争議中赤旗数十本を乱立させ、内容が著しく悪質なビラを貼り、組合員の作業服にゼツケンを掲げ、また、春斗前には職場新聞やビラ等を配つて会社およびその職制の信用を毀損するなどした。」旨主張するが、前認定(第一、一〇および一一参照)のとおり、右主張のうち認められるのは赤旗数十本を立てたことと、ビラを貼つたことだけであり、その態様およびビラの記載内容についても、この種斗争の際に通常行われ、あるいは記載される程度以上に、特に悪質な態様、内容のものとはいえず、これをもつてその責任を云々すべきものではないから、この点に関する被申請人の主張は採用できない。
6 結語
以上のとおり被申請人の主張するところの、申請人五十嵐ら三名に対する懲戒解雇理由は、いずれもその理由がないので、その解雇はいずれも正当な理由なくしてなされたもので、権利の濫用として無効であるというべきである。
三、結論
以上判断したとおり、申請人ら四名に対する解雇はいずれも無効であるところ、申請人らは、いずれも賃金を唯一の生活手段とする労働者であるにも拘らず、前記解雇によつて、その収入の途を奪われたのであるから、他に特段の事情の認められない本件では、保全の必要性もまた存するものというべきであるから、申請人らの本件申請はいずれもその理由があるのでこれを認容し、訴訟費用については、民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 西山要 岡垣学 瀬戸正義)
(別表省略)